東方異聞紺珠伝 第三話

「着きました。ここがあなたの部屋です」案内役の女性(?)が立ち止まり、扉を指した。思わず足がもつれ、彼女の背にどんとぶつかる。

「す、すみません……」

「大丈夫。それより、中へどうぞ」

 鉄格子の奥に広がるのは、白い壁と簡素なベッドだけの小部屋。立って半畳寝て一畳とはいかないまでも、三人横になればそれで床が埋まってしまいそうなほど小さい部屋。窓はないが、灯りは白くきつい。清潔すぎるほど整っていて、逆に落ち着かない。臭いですらもつかみどころなく、完全に人工のそれだった。

「ここでしばらく過ごしていただきます。衣食住はこちらで用意します。医師の診察も受けてもらいますので、ご安心を」

「……監禁、ってことですか?」

「保護、です。あなたの安全のために。」そう言って、彼女は小さく笑った。

「監禁するやつもそう言うだろうよ。」ぼそりと。

鉄格子が閉まり、鍵が回る音が響く。

「何か困ったことがあれば、交代の者に伝えてください。それと――焦らないこと。記憶は、無理に引き出そうとすると遠ざかりますから」そう言い残し、彼女は去った。

代わりに、別の女性(?)が格子の前に立つ。背筋を伸ばし、無表情。長い耳がぴんと立っている。

「……少し話してもいいですか?」

「ええ」

「あなたを『地上人』と呼びます。私たちは『玉兎』。そして、この都市を築いた『月人』がいます。ここは――月の都です」

「この施設にいる殆どは玉兎たちです。あなたみたいな地上人は月の都では月人が直々に対応すると穢れが移るというので迷い込んだ地上人の応対は私達玉兎に任されています。」

「……月? 冗談だろ」 「冗談なら、こんな格子はいりません」冗談だっても、格子がいることはあると思うがね。と思わず突っ込む。

 彼女は淡々と続ける。

「あなた方地上人が見上げる月。その裏側に、私たちの世界があります」

 言葉が現実と噛み合わず、胸がざわつく。あの空にひときわ目を引いた青い星。かすれた筆で撫でたかのような白い模様。脳裏に写真のように焼き付いた映像が目の前に現前する。いや、そもそもなぜ今目の前にいる女性たちが頭につけ耳なんかつけてコスプレなんかしているとも思わなかった?あまりにもよく出来ていたから。ちがう。認めたくなかったのだ。この期に及んでもなお、自分が記憶を失い、その上生き方もわからぬ異世界に迷い込んだことを。息がつまり、肺が空気の取り込みを拒否する。かぁっと顔が熱くなり、足から力が抜ける。よろよろと立ち上がり、鉄格子を掴む。

「……息が荒いですね。深呼吸を。四つ数えて吸って、止めて、吐く――はい、そう」

指示に従い、呼吸を整える。少しずつ、視界が澄んでいく。

「自分の質問に答えてほしい。月の裏側の世界とはどういった意味だ?」

それは、と小さな声で彼女は答えに窮したように俯く。自分は彼女の目をまっすぐに見つめ、鉄格子の向こうにある彼女の目、あるいは良心に訴えかける。

「すみません。その質問に答えることは、出来ません。」彼女は首を静かに横に振る。鉄格子を掴んだ手の力が抜ける。よろよろとその場に崩折れる。でも、と言葉が続く。

「これだけは覚えていてください。あなたが望む限り、不可能なことはないのです。わたしは、いえ、私達はあなたのことを応援しているのです。」

 彼女はそう言って、交代のため一礼した。しばらくして、食事が運ばれてくる。盆を持って現れたのは、別の玉兎(そう、頭にうさ耳が生えている女性。)だった。目つきは鋭く、声は冷たい。

「食事だ。ありがたく食べろ」

皿の上には、見慣れない料理。整ってはいるが、どこか無機質だ。中国風の料理。箸に手を伸ばしかけ、ふと、彼女の視線に気づく。

「……なにか?」

「礼も言えないのか、地上人」

「……ありがとう」

「言葉だけなら誰でも言える」

全く、といった感じで、首を横に振る。無茶を言いなさんなとはまぁこのことだろうと心底思う。棘のある声。彼女はさらに言葉を重ねる。

「ここでは、私たちが面倒を見る。だが、それは義務であって好意じゃない。わきまえろ」

「……俺は、何もしてない」

「存在そのものが問題なんだよ」

言い返そうとしたとき、別の足音が近づく。交代前の優しい玉兎が現れ、間に入った。

「交代の時間です。引き継ぎます」

「……規則は伝えた。あとは好きにしろ」刺すような視線を残し、彼女は去った。優しい玉兎は、皿を少し整え、こちらを見た。

「口に合うといいのですが」

「……月の都というものはどうも度し難い。」と皮肉をこめて呟く。

「正直に言えば、偏見はあります。ここまで来る間に、辛い思いをした月人様もいましたから」

「……」

「でも、全員がそうじゃありません。少なくとも、私はあなたを助けたい」

彼女はそう言って、格子越しに小さく頭を下げた。

「……意外とおいしいもんだね」盛り付けられた皿の料理は、懐かしさを感じる味だった。

 夜。灯りが落ちる。薄い布団に体を横たえると、遠くで金属のこすれるような音がした。

「……何だ、今の音」答える者はいない。胸に手を置き、ゆっくり数を数える。海の音、青い星、家族の顔――薄れては浮かぶ断片が、波のように寄せては返す。

眠りに落ちる直前、かすかな違和感だけが胸に残った。床から伝わる、微かな震え。

――何かが、動いている。

作者メッセージ
かなり久しぶりの更新となりました。この間に、東方異聞紺珠伝の書籍化(部誌という形で、ですが。)などいろいろなことがありました。今は、第六話の初稿を書き上げています。こうご期待!