東方異聞紺珠伝 第七話

月人が去った後、歩兵銃を携えた玉兎が現れる。抵抗する間もなく腕を掴まれる。

「地上人。お前を訓練所へと連行する。神妙にするんだな」玉兎たちはかなりの膂力でもって自分を引きずる。彼女たちの力の強いことで、自分は軽々と引きずられる。外へと出る扉を前にしたところで、月華が叫ぶ。

「待ってください!」そう彼女は叫び、看守にはさみを借りて切った髪の束を自分に渡す。

「これを持って行って下さい、地上人さん。つらいことがあった時には、これを見て、確かにあなたのことを大切に思っている人がいることを思い出してください」髪の束を受け取り、頷く。引きずられるようにしながら、房を後にする。行き先が新たな牢なのか、それとも帰還への一歩なのか、期待のできないまま扉をくぐる。

玉兎たちに連れられた訓練所。薄暗い空の灰色を吸い込んだような壁面と、全く悪目立ちする無機質な曲線を描く白亜の戦士像。それらが明白にこの都市の罹っている病理を表しているような気がした。隣からは、歓声と宣誓の声が響く。

「我ら第七二五期月都防衛軍訓練生は都のいかなる危急の事態に臨みてもわが身を顧みず……」それでやることが、地上人を嬲ることであれば、大した「危急の事態」とやらだなと愚痴を吐く。訓練所まで自分を連れてきた玉兎が去ったのち、入営式を盗み見する。どの訓練生もぴかぴかと音が鳴りそうな紺碧のブレザーに身を包み、使命感に燃えた目をしている。対して自分はどうかと眺める。拘置所から逃げ出したときにあちこちに引っ掛けちぎれたカッターシャツ。裾周りがまるで短冊飾りな黒のスラックス。まるで学徒出陣だなと嘆息し、腰を下ろす。入営式を執り行っているそばで見学に来ているであろう、月人の子供たち(玉兎の子供ではない。頭にうさぎ耳がない、普通の子供たちだ。)が目を輝かせて、訓練生たちを見つめる。

「俺も将来大きくなったら地上人どもをやっつけるんだ!」「そうじゃないでしょ!地上人のことなんてそもそも考えちゃいけないって言われたよね?地上人のこと考えると脳が穢れるって言われたばっかりでしょ!」時々漏れ聞こえる声が残酷なほどに自分を刺す。教師と思しき月人が自分を指し、言う。

「ほら、あそこにいるのが地上人だ。偉大なる月人から分岐したとは思えないほど知性が退化し、穢れた地上を這いずり回った成れの果てだ。見た目こそ月人と変わらないが、その知性は最も劣位の玉兎よりさらに劣る」教師がそう説明すると、子供たちは好奇の目でこちらを見つめ、男子はひそひそと声を上げ、女子が石を拾い上げ投げつけてくる。こぶしより一回りほど小さい石がこちらに飛んで来、あわてて逃げ出す。背中にがつがつと音を立ててあたる石の感覚に耐え、訓練所を区切る壁の裏へ飛び込む。

入営式を終えた訓練生が、建物の中に入り始めたのを目にして、続いて建物に入る。広大な広間で玉兎たちが備え付けられた錆の浮いたロッカーやベッドのそばで、銃や礼服、軍靴などの受領を受けている中に紛れ込む。受領を担当している玉兎が自分の前に来る。

「貴様の姓名を名乗れ」厳しい口調。そもそもないと言ったらどうなるのだろうか。そんな疑問が一瞬頭をよぎる。

「無い」そのまま答える。ないものはない。それでいいだろう。まぁ、あったところで呼ばれるとも思われないが。

「そうか。地上人にそんなものはないほうがいい。月の都に一生を捧げる歯車に名前なんぞという大層なものは不要だ」淡々と銃を渡される。拘置所で見た玉兎が持っていたような大きな歩兵銃。手にずしりと重量感を感じるそれを受け取り、周りの玉兎がそうするように、銃身をもって手に下げる。にわかに玉兎たちが騒ぎ始める。牢屋に現れたあの月人の男ががたがたと大きな足音を立てながら現れ、装備の受領を進める玉兎の丸まった背中の後ろに立つ。おい、と呼ばれたその玉兎は首だけを回し、月人を見上げる。彼は自身のいら立ちを隠しもせず、玉兎の背中を軍靴で小突く。

「おい、貴様何をしていた」月人が玉兎を脅し上げるように冷たい声で問い詰め始める。

「装備の受領であります」装備の受領をしていた玉兎は全く冷静に報告をする。だが、それが彼の神経を逆なでしたのか、男は表情を一気に吊り上げ、軍靴で玉兎の頭部を蹴り飛ばす。

「馬鹿があっ!」怒声が部屋に響く。玉兎は蹴り飛ばされた頭部を抑え、足がたたらを踏みながらも立ち直る。

「馬鹿が……とは何についてでしょうか。私は指令に基づき、訓練生に装備の受領を行っていただけですが……」玉兎は努めて冷静を保っているようで、少し震えの残る声で叱責の理由を問う。

「お前の目は節穴か?目の前にいるのは訓練生ではない!地上人だ!」月人はその青白い顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らす。

「地上人といえど、訓練生は訓練生です。月都のためにその身をささげるものとして、平等です」

「知るか!やはり月都拘置所の連中は腑抜けだ。いいか?地上人は地上人らしく月人と玉兎の足蹴にされ、情けで生かしてやっていることを体で覚えさせなければすぐに手を噛んでくる。俺が直々に地上人の取り扱いを教えてやる!」男がずんずんと自分に近づいてくる。彼のやってきたことからして、まともなことをしてくるはずがない。銃を手に逃げ出す。

「待て!」怒号が背中からするが、振り返ることなくとにかく建物の廊下を逃げ回る。人3人分ほど後ろから、男があちこちにぶつかっているのかえらく騒々しい金属音ばかりがする。しばらくはうるさい足音と怒号が続いていたが、やがて諦めたのか足音が聞こえなくなる。やれやれと床に腰を下ろす。どんっと音が腰の隣あたりからする。

「……しまったな」銃を受け取る前に話しながらポケットに突っ込んだのだろうか、教本が飛び出て床に広がっていた。ずしりと辞典ほどの重さのあるそれを拾い上げ、またポケットにしまい込む。あの男に出くわさないようにしばらく大人しくする。

「退屈だ。」こんな言葉が出てくるなんて思いもしなかった。おそらく2、3時間(月都の時間単位として存在するのかはわからないが)ほど大人しく息をひそめていたのだが、音沙汰が全くない。ポケットに入っていた教本も何度か読み返すほど見て、大体の内容も見てしまった。これだけたてばあの男ももうどこかに行ってしまっただろうと思いながらも、できる限り足音を立てないように空いている扉からちらりと先ほど逃げ出した大きな部屋の中を覗き見る。ちょうど受領を終えた玉兎たちがどこかへ移動をし始めるところだった。まるでコソ泥かネズミのようだと思いながら彼女たちの後をつける。

彼女たちの行き先は食堂のようだった。清潔なテーブルに拘置所で食べたような中華風の食事が並んでいる。その中に一つだけ様子の異なるものがある。どぶを流れる水のような灰色のスープと、それに浮かぶ不出来な形の団子。それに、腐ったような酸っぱいやら甘いやらわからないほどの異臭を放つ見てくれだけは透明な水の入った容器。おそらく自分の料理だろうと感じてしまう自分自身に嫌気を覚えつつ、こんなもの食えたものではないと手を付けないままテーブルの下に潜り込む。しばらくすると、玉兎たちが食事を食べ終わって出ていくのでそれを見計らい、残飯を目を盗みながらしめしめと手づかみで口に入れる。腹を満たして少しだけ幸せな気持ちで食堂をまた目を盗んでこそこそ抜け出し、扉の影から玉兎たちの戻っていった大部屋を覗く。皆制服を脱ぎベッドで歓談をしている。なるほどこれが訓練所の一日かと頭の片隅にとどめ、皆が寝静まるのを待つ。

皆が寝静まり、部屋が消灯されたのち、足音を立てないように忍び込み、適当な玉兎が寝ているベッドの下にあの男に見つからないようもぐりこむ。横になっているうちに微睡みがやってくる。ここにきてから、初めて心のざわつきも、不安も少ない夜だ。それはたぶん、残飯とはいえ自分で食べるという選択を自分でできた幸せなんだろうと思う。こんな小さな幸せだが、自分には自由への一歩のような気がしてとても心が高揚した。

目覚める。まだ、誰も起きていない。足音を立てないように気を付けながら大部屋を後にする。手にした銃からキンキンと軽い、金属が触れ合う音がする。おそらく銃の中に弾が入っていて、それが入っているのではないかと推測する。弾を取り出そうかとも考えたが、取り出している最中に指を挟んでも嫌なので、目を盗んで撃ってしまうことに決めた。土が積み上がって手前に的が置いてある射撃場が建物を出た屋外にあるのを見つけ、忍び込む。的が朝の薄闇にぼんやりと浮かんでいる。教本を広げてみる。見づらい字だが、つい昨日読み漁った内容を思い出しながら読む。まず、銃の中に小石や砂、水などが入っていないか確認。弾が通る銃身の手前にあるハンドル(銃把というらしい)を引く。問題なし。次に銃把を戻し、弾を打つ準備を整える。ハンドルを押し、切り欠きにはめる。狙いをつけ、引き金を引くとある。文中の参照に射撃姿勢とあるのでそちらに飛び、射撃姿勢を見る。まずは伏せ打ち(伏射と書いてある)から練習するらしい。地面に伏せ、足を広げる。肩当を肩にあて、銃を手で支えて引き金をゆっくり引く。パコンと案外間の抜けた音と、肩をたたかれるような反動。土煙が狙いをつけたはずの的の横から上がる。おかしいなと思い教本を見返す。銃の手前と先にある照準を合わせて狙いをつけよと書いてあるのでその通りにする。凹型の手前にある照門のど真ん中に標的をいれ、凸型の照星を合わせる。呼吸によって照星も照門も揺れ動き安定しない。右に、左に、ふらふら動いては焦点がぼやけて狙えない。呼吸を止め、再び引き金をゆっくり引く。今度は弾が出てこない。銃把を引くのを忘れていた。ハンドルを引き、弾のカラ(これは薬莢)を出し、新しい弾を入れる。狙いをつけ、発砲。今度は的のど真ん中に命中した。案外大きな音が出るので見咎められるのではないだろうかと及び腰になりながら次々に打ち放し、5発撃ったところで弾がなくなった。近づいてくる足音に焦りながら薬莢を拾い集め、同じものがたくさん入っている所に投げ込んでそそくさ逃げ出す。射撃場を出たところで、目の前を玉兎が通り過ぎる。ご機嫌に軍歌を口ずさみ、堂々と歩くその姿に少し気が引け、横を身を縮めながら通り過ぎる。このまま月の都でみじめな扱いを受け続け、時が来たらあの拘置所に襲撃してきたような異形の生物と戦い、墓標もなく野ざらしの死体をさらして終わりのような気がして。さすがにそんなことはないだろうと頭を振って悪い考えを払おうとするが、ますます強くなる。あの月人のような奴が上官ならあり得るかもしれない。そう思ったところでとある言葉が頭をよぎる。「私の名前は綿月依姫。この月の都の防衛軍の司令官をしています!」依姫さんならあるいは……そうは思ったが、彼女が拘置所に連行した張本人ということを思い出し、思いとどまる。あの剣を喉元に刺した厳しい態度が本当の彼女なのか、それとも心優しい女神のような態度が本当の彼女なのか。自分の心の中ではとっくに結論が出ているはずなのに、ここにきてから受けた扱いによって醸成された猜疑心が、その結論を鈍らせる。

目の前を通り過ぎた玉兎たちをつけていると、図書室の看板を見つけ、好奇心から扉を開ける。埃に満ちた空気が自分に降りかかる。薄暗い部屋の中を蠢く影が自分の方によって来る。

「誰ですか?訓練はまだのはずですが……」健康そうな顔立ち、自分の頭を優に超す大きな背丈。彼女には見覚えがあった。拘置所で独房に案内してくれた(そして自分がぶつかった)彼女だ。

「あなたは……!」思わず声が重なる。お先にどうぞと言われ、質問をする。

「拘置所にいた玉兎、で間違いない?」そうです。と返答。今度は彼女からの質問。

「何でここにいるのですか?ここは防衛軍の訓練所ですが」

「従軍契約を結びました。第七二五期訓練生という名前だったはずですが……」

「ああ、そういうことですか。私も第七二五期ですので同期ですね」

「拘置所が襲撃を受けたときどこに居たんですか?」一緒に脱出し、そして牢に入れられた月華たちのことを思い出しながら質問する。

「あの日は非番でして……拘置所があの調子なので、仕事もなくなってしまったのです。いつまでも仕事がないままでは困ってしまうので、似たような仕事の防衛軍に入りました」ちょっと困り顔で、髪の毛についた埃を取りながら彼女は続ける。

「ここにいるのは?」

「似たような仕事とは言いましたが、実際のところいろいろ違うところがありまして……それの勉強です」

「手伝っても?」このまま一人でコソ泥のようなことをしていてもらちが明かないと思い、せっかく知り合いに会ったのだから仲良くなっておこうと不安とともに、提案する。

「お願いします。人が増えるのは心強いので。私の名前は月鈴(ふうりん)。よろしくお願いしますね」手を差し出される。その信頼とつながりの手を若干の不安とともにとる。彼女の後ろの窓からのぞく厚い曇り空から、一筋の光が漏れ出ていた。

作者メッセージ
部誌掲載の話から一気に進みました。ほんまラインハルト月人ほんまにさぁ。と、順調に彼はヘイト係です。とうとう自衛隊に絡めて喧嘩売り始めてます。大丈夫なんですかね私は……